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最前線で働くことが大好きだった私が、会社を背負うCEOになるまで①

人の上に立つ仕事をしたくない、で入社したプライマル

私は、新卒で大手小売会社に入社しました。初めての上司は50代で私と同い年の娘さんがいらっしゃる、全国に教え子のマネージャーを多数輩出している方でした。

とにかく無口で、新人に何かを教えるスタンスはゼロで「レジ打ってきて~」ばかり言われていて、いつも他の手厚い教育を受けている同期を見ながら焦っている日々でした。


ある日、そんな上司が、バレンタイン商戦の発注を考えていた私に「……去年の2倍くらい売っちゃうんでしょ?」と突然ニヤニヤ言って去っていきました。恥ずかしながら昨年比100%以上行ったら勝ち、

くらいに思っていた私は「そういうこともやりようによってはありうるのか…!」と驚いたしとてもワクワクし、作戦を立てて好きなようにやってみました。

結果は1.5倍くらいだったかな…?2倍には届きませんでしたが、前提を無視して自分で考えて実行したことが

こんなにいろんな人に認められて売り上げが伸びるんだということが嬉しくてしょうがなく、仕事が大好きになり没頭しました。


そんな日々を過ごしていると、色々なところから目を付けられ、担当者として初めて労働組合の中央執行委員になり、新卒2年目24歳の時にマネージャーに昇進しました。

初めて持った部下は24名、正社員が40代女性時短勤務の2名と他はパート・アルバイトでした。


ついた現場は1ヶ月マネージャーが不在だった場所で、売り上げ不良で一つの化粧品ブランドが撤退危機に陥っており化粧品以外の現場も混乱状態でした。

爆発的に一時的な売上を上げることに関しては得意だったので、まずは何とかブランド撤退危機を回避し、化粧品メーカーさんには「奇跡」と散々取り上げていただきましたが、そちらに注力してしまい、

またシフト作成などの日々決まった業務を遂行するのが、絶望的に苦手なことも相俟って、化粧品担当以外の部下に嫌われてしまい、労働組合で休日の活動を続けていたこともあって

(本当は代休をとれるのですがセルフマネジメントが下手すぎて取れなかった…)、「この会社、大好きだし感謝しているけど、もう無理だな…」と思いました。


そこで転職活動をして「このくらいの規模の、しかもコンサル会社なら、リーダーとかマネージャーとか言わないで個々人で仕事をして行けそうだな~、

色々な業界も見られて幅広い業務内容を身に着けられそうだな~」と…なんとも後ろ向き80%な理由で転職したのがプライマルなんです。ごめんなさい…。


コンサルタントは無理かもしれない…と思った日

入社して初めて担当した案件は通信会社様のユーザーからの問い合わせ導線の改善のプロジェクトでした。現場にヒアリング調査に行ってレポートを求めて改善施策をまとめるという、なんともやりやすい易しいプロジェクト・・・!

なのですが、採用面接ではフェルミ推定で殺虫剤の国内売上を問われてGDP越えの回答を算出し、採用課題では縦書きジャングル色のPowerPointを提出した、伝説のコンサル未経験者だった私には、

お客様にご納得いただく論理の通った資料一つ作るにも骨が折れ、随分一生懸命働きました。いえあれは、今思えば働いたというより勉強させていただきました。


結果的にお客さまにもご納得いただけ、拡大のご提案にGOサインをいただけました。お客様からGOサインをいただけた後、

帰りのエレベーターが閉まった瞬間に当時の上司にグーサインをしてもらったのが、疲れ果てていたけれどとても嬉しかったのを覚えています。

何とかコンサルとしてやっていけるかもしれない…と思っていた時、次のプロジェクトがプライマル本家本尊のド新規事業立ち上げ案件、しかも先輩が長い時間かけて取ってきてくれたプロジェクトでした。


お客様も当社が初めてお付き合いする大企業の事業部長の方でした。最初の打ち合わせ、不運なことに上司や先輩が来られず、単独での対応になりました。

自分としては準備をし、自信を持って臨んだのですが「イメージと違う」と言われてしまい、意見を求められて一生懸命回答するけど、言葉が宙に浮いていく…。「これはまずい…」と思い、

打ち合わせ終了後すぐに上司と先輩に電話し、フォローを頼むと早速名指しでクレームを入れられてしまいました。


クレーム後も、必死に先輩や上司に確認を取りながら都度都度の課題への対応や推進に従事していましたが、なかなか手応えがありません。

クレームを入れられた現場で引き続き働く、というのはとても辛いことです。

今では私が上司側になりましたが、部下に同じことをさせる時、いつもこの時のことを思い出しています。


そうしてプロジェクトアサインから1年ほどが経過しました。プロジェクトは何とか、先輩と上司が被って入っていてくれるおかげで継続されていました。

私はこれまでの人生で、情けない話ですが、本気で物量を頑張って1年以内で何とかならなかったらダメだな…と勝手に決めつけていました。


ですので、評価面談で「このレベルでコンサルでい続けるのは会社にご迷惑をおかけするので、総務になることはできませんか?」と相談をしました。

30名40名規模の会社でこんなコンサル1人いたら絶対邪魔だろう、コンサルはそもそも業界的に独学独力の世界と思っていましたし、ちょうど総務も当時まだ2名で新たに人材を募集していました。

すると意外と「いやーもうちょっと感あるから、だましだましあとちょっと頑張ってみたら…?」と。

“待ってくれる会社”、これが私が思うプライマルグループのよいところです。


一人前とリーダー制度

さて、そんなこんなで有耶無耶にされ、プロジェクトを継続対応していたのですが、どうせなら「半年」と期限を決めてその間だけ死ぬほど頑張ってみよう、と思いました。

そう決めてみると、自分がこれまでいかに「ヒトが言ったことに対応する」ということしかしていなかったかがわかりました。


もっと「コト」「事業そのもの」に目線を移そう。

この事業が本質的にどうなるといいのか…。でもその判断には情報が必要でした。「何につながるかはわからないし今更だけど、この事業周辺のことにこのプロジェクトの誰よりも一番詳しくなろう!」と心に決めました。


大学生に関する事業でしたので、100以上の学生団体や学生に関する事業をしている方たちに直接会いました。

なんとも物量押しの私らしい解決策ですが、会っているうちに現場の学生の声に誰よりも詳しくなり、

打ち合わせの中でも現場を代弁する意見を言えるようになりました。また学生団体や関連企業とお会いし、提案する側にもされる側にもなることで、何が経営者や事業部長が気にするポイントか、というのがわかってきました。


半年後、苦手だった事業部長に指名で継続・拡大の打診をいただけた時は、「嬉しい」というはしゃいだ気持ちはなく、「信頼いただけてご発注いただけた」、という自分の身体の中にある『自信のバケツ』のようなものに

水が入ったというか、上手く言葉にできないですが、そんな気持ちになりました。そして「多分これでどこに行っても個人としては大丈夫だ」と思えました。

なかなかこれ以上厳しいお客様には出会わないだろうし、すぐには上手くいかないことはあっても耐えて粘りつつやっていけそうと確信を持ったのです。


ただ、実はこのプロジェクトには悲しい後日談があります。立ち上がってから数年間は事業が存続したのですが、結果的に事業を畳むことになってしまったのです。この時のプロジェクトメンバー、

ご一緒した部長さんとはプライベートでも今も仲良くしていただいており、私の子供へプレゼントもいただいたり、、、。


そうしたお付き合いの中で経緯を伺うにつけ、果たして当時の私は本当に本心からこの事業が成功してイケる!という確信を持って推進していたのか?と、自問しています。

人は簡単に「新規事業の多くは失敗する。失敗を恐れるな。」といったことを言いますが、私はこの時の経験から「新規事業は絶対に成功させなければいけない。成功しないなら始めない。」と実は思って仕事をしています。

万が一失敗してしまったとしても、そう思っての失敗であればきっと学びも多いと思うのです。


そんな中、プライマル社内では「リーダー制度」というものが立ち上がっていました。これまで役員の下で個々にコンサルタントがプロジェクトを持っていた体制から今後の会社の成長を見据えて、

役員の下にリーダーを設け、組織化していく動きをしていたのです。


私にとっては転職の経緯からして「勘弁してくれ」という制度でしたが、まだまだ未熟でしたので我関せずで事なきを得ていました。

上記のプロジェクトで価値を出せてきたころに一度「(リーダーに)どう?」と意向を伺う打診はあったものの「いやいや、まだまだです。結構です。」と拒否していました。 が、なんとその半年後には、リーダー指名を受けてしまったのです。 つづく。

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